20110729
7月27日に電子音楽家のレイ・ハラカミが急逝したと、
28日のYAHOOトップニュースに出ているのを見て目を疑った。
享年40歳はあまりにも早すぎる。

レイ・ハラカミとしての活動のほか、
矢野顕子とのユニット・ヤノカミで知る人も多かろう。
また多数のリミックスワークがあり、
くるりなどのファンにとっても馴染みあるリミキサーだと思う。

ハラカミ自身が京都に拠点を於いていたこともあり、
「いつでも見れるだろうからまた今度、、、」と思って
数年前の京都精華大学での学園祭や、
今年3月の木屋町の元・立誠小学校でのライブに行かなかった事が
今更ながら悔やまれる。
結局ライブとして見たのは後にも先にも、
震災後の福島からUSTREAMで不定期に配信されている
DOMMUNE FUKUSHIMAでの5月8日の短いライブセットだけとなってしまった。
返す返すも、大空間の中でこの音に包まれてみたかったと思う。

電子音楽というと機械が奏でる無機質なものと思われるかもしれないが、
レイ・ハラカミのそれはどこまでもエモーショナルで優しい音の景色である。
イージービジョンというローエンドシーケンスソフトと、
Roland SC88Pro音源モジュールだけで作られているというのに。
良い音楽やオリジナリティは、
決して高い機材や高度な演奏テクニックからのみ生まれてくるわけではない。
そんな至極当たり前のことを、
事も無げに体現していた稀有な存在が失われてしまったことを本当に残念に思う。
彼の音楽は誰かを真似ているわけではない。
だからレイ・ハラカミの音楽はレイ・ハラカミにしか作れない。
あの独特の音色とディレイを聞けば、
すぐに彼が作った音だと分かるオリジンがそこにある。

ハラカミの作る音楽はインストゥルメンタルだが、
唯一彼自身が歌っている細野晴臣のカバー曲がある。
後にYMOとして日本における電子音楽家の先達となる細野だが、
その源流は「はっぴいえんど」に代表される日本語ロックである。
YMOのテクノを聞いて育った世代のハラカミが、
細野の日本語ロックを電子音楽でカバーするという、
まさに再構築化された「終わりの季節」。
決して歌がうまいわけではないけれども、心に残る歌声と電子音がとても心地良い。
電子音楽なんて興味ないという人にこそ聞かれるべきだと思う。

彼がこれから作る音を聞くことはもう出来なくなってしまったが、
彼が作ってきた音楽はこれからも生き続けるわけで、
多くの人にそれらが聞き続けられればいいなと思う。
良い作品は、そのようにして一人歩きしてゆくものだから。(YAS)

レイ・ハラカミ | 05:40 | comments(0) |
20110512
先日メインPCとして使っているDELLのデスクトップが、
突然起動しなくなってしまう事態に。リカバリーなどトライしてみるも全くだめ。
仕事のデータ一式は外部の外付けHDDにバックアップをとっているので問題ないものの、
OSとソフトの再インストールをしなければならず至極面倒。
しかしながらPCがないと仕事にならない昨今、こればかりはどうしようもないので、
新しいHDDを買って地道にセットアップです。

その後ネットのアーカイブでDELLなどにOEMで組み込まれている
Seagate製HDD(Barracuda 7200.11)が突然アクセスできなくなる
という気になる記事が、、、
もしやと思い取り出したHDDを調べたところ、まさにその品番。
解決にはファームウェアのアップデートが必要と言われても、
起動しない状態ではどうしようもなかったので、
どちらにせよHDDの交換は止むを得なかったわけですが。

兎にも角にもデータのバックアップをとっていたので事なきを得たわけですが、
もしバックアップがなかったら、、、と考えるとぞっとします。
以前のように紙に鉛筆で図面を書いていたときには、
それこそ火事にでもならないかぎり図面を消失する可能性はないわけですが、
PCとCADという便利なツールは、図面という「データ」をいとも簡単に
全て消し去ってしまうという諸刃の剣ともなるわけです。
特にハードディスクは以前も突然アクセスできなくなる事態に遭遇しているし、
フラッシュメモリーも壊れたことがあります。
全てのマスターは、そのコピーである分身を作って別の場所で保管し、
もしどちらかが機能しなくなっても、もう片方でリカバリー出来るようにしておくこと。
このバックアップこそがリスクヘッジのために最も有効な手段であることを
改めて痛感した次第。

同じ事を今回の大地震と原発の問題でも感じます。以前から指摘されていることですが、
東京に全ての首都機能が集中している状況が如何にリスクが大きいかという事。
幸いなことに東京に大きな被害が出なかったものの、
もし直下型の地震が東京で起これば、政治、経済、マスコミの全ての機能が停止する
ような事態にもなりかねず、大混乱を引き起こすことは必至です。
リスク分散のためには副都心というバックアップ都市を設置し、
有事の際には少なくともその何れかが機能するようにしておく必要がある、、、
なんて事は国民の誰もが思っているはず。
しかし一向に進まない副都心計画を見ると、無策な政治家の平和ボケにほとほと呆れます。
PCのバックアップを作ることは簡単ですが、
都市機能をバックアップさせるのは容易でない事は重々承知です。
しかし大惨事が起こってからでは間に合わないのだということを、
今回の経験から学ばなければならないのだと思います。(YAS)
バックアップについて | 23:23 | comments(0) |
20110502
CADを教えていると前回書いたのですが、そういえばCADというものを
一般の方がどれほど知っておられるのかなと、ふと疑問に思いました。
CADとはComputer Assisted Drawingの頭文字であり、キャドと呼んでいます。
直訳すれば「コンピューターで製図を支援する」となり、
紙に鉛筆で書いていたいわゆる「製図」を、PCとCADソフトを使って書き、
プリンターで印刷しようというシステムのことを言います。
CADが使われだしたのは20年ほど前。
当時はまだPCが高価で、かつ性能もよくなかったのでほとんど普及していませんでした。
その後PCの低価格・高性能化、CADソフトの充実、
ネットインフラの普及などが後押しするかたちであれよあれよという間に
業界はほぼ100%CAD化してしまいました。
何度図面を修正しても手書きのように紙が破れることもなく、
コピーはカラープリンターで何枚でも高速印刷出来ます。
図面を誰かに送るのもPDFにしてメールに添付するだけなので送料もかからない、、、
その他言い出したらきりがありませんが、
手書きの面倒さを知っているとやはり圧倒的に便利なのです。
しかしCADは手書きで図面を書いていた頃の設備と環境を全て変えてしまいました。
ドラフターという手書き用の大きな製図板や、
印刷用のジアゾ式複写機(通称・青焼き機)といった設備は、
製図をCADシステムに変換した時に全て廃棄せざるをえません。
つまりもう後戻りは出来なくなってしまったのです。
そしてそれは今日の私たちは「電気」がないと図面が書けなくなってしまっている
ということを意味しているのです。

東日本大震災をさらに混乱させているのが福島原発の問題。
安全といういう神話が虚構であった事が白日の下に曝されたわけですが、
とはいえ原発を賄えるほどの再生可能エネルギーがないことも自明です。
火力や水力発電施設で一時的に代替えすることは可能だとしても、
長期的に考えれば温室効果ガス排出削減を目標とする世界的な動向に逆行しますし、
結局のところ今すぐに全ての原発を止めるわけにはいかない、という結論を
私たち国民はしぶしぶ認めるしかないということになるのでしょう。
まさに後戻りできないという状況です。

エネルギーを一企業が独占して競争原理が働かないシステムこそ本来改めるべきですが、
住宅エコポイントなどという馬鹿な政策もいい加減にやめるべきだと思います。
補助金を出して各戸にソーラー発電を促したほうが、
よほど省エネルギー促進と電力不足の解消に繋がるでしょう。
現状はソーラーシステムを取り入れたいという要望があっても、
あまりに高額な初期費用を見て皆さん諦めてしまうのですから。

もはや後戻りできない状況で問題が生じているのであれば、
後世に問題を先送りしないように、ひとつずつ改善して前進してゆくしかないはずです。
再生エネルギーにシフトするインフラ整備を推進し、
その間の猶予を原発で賄うことを真剣に国策として取り組んでほしいと切に願います。(YAS)
CADと原発 | 01:01 | comments(0) |
20110429
週に1回、神戸の三宮にある専門学校へCADを教えに行くのですが、
その道すがら幾つかの動かない時計を目にします。
どれも時間は5時46分で止まったまま。



1995年1月17日の早朝に起きた阪神・淡路大地震によって壊れた時計が、
今でもそのまま残されています。
過ぎてゆく時間を刻むことのない動かぬ時計は、
震災のモニュメントとして静かにこの場所で5時46分を16年間指し示してきたのです。
まわりを見渡せば、ここで大きな震災があったことを思い出す景色は今はもう何もなく、
16年前の地震を知らなければ、よもやこの場所で多くの人が亡くなり、
街が瓦礫に埋もれていたことなど想像できません。
時間は確実に街を復興してゆくし、人もまた悲しみから癒される時が来ます。
しかしここで起きたことは決して忘れてはならないし、語り継がねばなりません。

阪神・淡路大地震で亡くなった方のほとんどは建物の倒壊による圧死でした。
本来、人を守るシェルターとなるべき建物によって
何千もの人が亡くなってしまった事は、私たちのように建築設計に携わる者、
また工事に関わる人たちは決して忘れてはなりませんし、
そのような悲劇が繰り返さないようにしなければなりません。

3月11日に起きた東日本大震災は、阪神・淡路の震災とは違う津波という災厄により、
広範囲にわたり甚大な被害がもたらされているわけですから、
復興には相当の時間がかかるでしょう。しかし必ず復興できます。
先人たちがそんな幾多の試練を乗り越えたきた先に、
現在の私たちがいる事を忘れてはいけません。
そして悲劇を繰り返さないために私たちが、
起こった出来事を後人に伝える義務があるのだと思います。

被災地の1日も早い復興を祈って止みません。(YAS)
モニュメント、シェルターとしての建築、復興について | 03:19 | comments(0) |
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